SSブログ

安倍信者に告ぐ [雑感]

三橋先生の移民亡国論よりの一節だが、、、
どうしても、これだけは見ていてもらいたい。
もし三橋先生が間違ってたなら、安心できるじゃないか。
しかし、俺だけは大丈夫と思って、起こしてしまうのが飲酒運転。
そんなことしっかり考えてるさとして起こったのが、311のフクイチの事故だったね。
で、そのとき、君らはなんと言った?
「想定してないのがおかしい」なんて言った方もいらっしゃったね。
さて、引用しよう。





日本がチベットやウイグルと同じになる日
 現在の状況が継続すると仮定すると、日本に流入する外国人の多くは「中国人」になる。日本列島の居佳者の過半が[中国に出自を持つ人」となった場合、わが国を本当に「日本国」と呼んでもかまわないのだろうか。
チペットやウイグル、さらには台湾に引き続き、日本国も中華人民共和国の「洗国」の餌食になると考えないほうが、おかしいのではないか。
 日本の文化、伝統、歴史、価値観、ライフスタイルは、日本国民が日本国民として生きていくうえで、欠かすことができないものだ。日本列島に居住する人口の過半が「中国に出目を持つ人」になったとしても、われわれはなお日本人としてのアイデンティティを維持したまま生きていくことが可能なのか。とくに中国人が日本国の要である「皇室」に対し尊祟の念を持つとは、とても思えないのである。
 この種の入口シミュレーションを平気で公開している時点で、日本の政府官僚は「国家観」を欠いていると断言せざるをえない。
そもそも、現在の日本にとって、移民政策とは完全に「安全保障」の間超でもある。
政府関係者は、外国人と安全保障の関係についてはどのように考えてぃるのだろうか。
 もっとも、移民を推進する日本の官僚にせよ、政府の各種会議に集う「民間議憩たちはせょ、あるいは政治家にせよ、100年後の人口について本気で心配している人などしょせんは少数派だろう。彼らは、たんに「グローパル市場」における企業の競争力(価格競争力)を高めるために、外国人労働者を日本に流入させ、国民の実質賃金を引き下げようと図っているにすぎない。人口問題は、たんなる方便として使われているだけなのだ。
 さらにいえぱ、彼らはもちろん、日本国民が、「1年間に20万人の外国人を移民として受け入れる」といった過激な政策に賛同するとも思っていない。
最初の時点では、「とても実現不可能な提案」をぶち上げ、その後、より現実的な案を提案し、譲歩したふうに見せかける。
そして、日本国民に、「ああ、何だ。その程度ならばかまわないか」と思わせ、少しずつ事を進めていくのが、彼らの常套手段なのだ。



どうだろうか?
このように考えて、慎重論を取ることは間違っているだろうか?
むしろ、「大丈夫だ。いまの政権は悪いようにしないに違いない」などと思考放棄をすることは、いいことなのだろうか?
私には、申し訳ないが、責任を放棄してしまっているようにしか見えないのである。

河野談話にしてもそうでしょ?
われわれが、「検証をして誤りだとわかりながら、政府として破棄しないのはダブルスタンダードだ。誤りなら破棄すべきである」と言えば、「破棄したら国際社会からの日本の信用は落ちる。第一段階はこれでいい」などという反論があった。
しかし、そこはどうなっただろう?国際社会はどう動いただろう?

イメージできない人達には、イメージできないなりの結末しか待ってないだろう。逆に余計なイメージをする人間には、余計な道程を歩いてもらうことになるだろう。
わたしは、もしこれが余計なイメージだとしても、将来長い道程を歩くようになったとしても、国が滅ぶよりもマシだと考えている。
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:moblog

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

佐賀の例の猟奇殺人雅子妃について ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。